今日は先輩ヘルパーのはなこさんが旅行から帰ってきました!
そのおみやげパーティの様子です^^
あの噂のラッキーピエロのハンバーガーも泊まってくださっていたゲストさんからのおみやでいただきました…
本当にごちそうさまです。


たくさん食べて、その足で天狗山のグラススタジオにガラス製作体験に行きました。
小樽の工房で体験するのは初めてだったので、雰囲気をつかめる貴重な機会となりました。
その様子についてはまた後ほど!^^/

これまでになかった形でライトアップされていました。
北運河の地域を知っている人は観光客ではほとんどいないでしょう。
そこにどうにか人の往来を増やせないか。そのような試みの一つでしょう。
 
ほかでは見ることのできないような幻想的な光景でした。観光客と地元の方のいずれにもこの空間は受け入れられたようです。
これから北運河では新たなプロジェクトが進められますが、今回の取り組みは大きな試金石になったと思います。双方がともに魅力を感じられ、そこから人の交流が生まれるような空間になっていくのかどうか…。これからの動向を注視したいと思います。
…こんな感じで。
カメラ目線をしてくれたモモさんがうれしくてついあげちゃいました^^;

この時期しか運営されない、コンテナを活用したカフェが三号ふ頭付近にありました。しばらくしたらきえてしまう、はかない幻影(phantom)のような、そんな空間。店名の由来にもなっています。
お金の使い方をそろそろ真剣に考えなくてはいけない状態に陥りつつあるけれど、ここだけはどうしても行きたかった。
セピア色という表現が一番しっくりくる小樽の港にこのカフェは溶け込んでいた。そのなかがこうなっていようとは…。
夜に行けたらもっときれいだったんだろうと思います。現在観光地化されていない北運河エリア観光地化のための試験的なプロジェクトだそうです。
啓発用の動画(https://www.youtube.com/watch?v=s86h8ROX9so)も素敵でした。まだ少しの間営業しているはず。ぜひ足を運んでみてください。

纏めて更新するかんじになっちゃいました…
できるだけコンスタントなアウトプットを心がけないと^^;
『さかいや』に再訪しました。
パソコンを忘れたおかげで(?)、すっかり顔を覚えてもらえようです。「先日はどうも」と挨拶をしてカウンターに座りました。写真はケーキセット。
写真には写っていませんがコーヒーのポットサービスもついていて、ちょっとお得感があります。『さかいや』は堺町の最も古いお店の一つで、カウンターに座って色々なおはなしを聞くことができました。
小樽駅の人の様子や、観光客の持ち歩く買い物袋の柄の変遷など。小樽で様々なお客さんを相手に商売していた人による非常に貴重なお話です。
果ては「大学院生でも物忘れするんだから安心しちゃったよ」なんてことまで。
きっかけは本当にしょうもないことですが、、、また一つ大事な場所が小樽に増えました。

北一硝子さんと深川硝子工芸さんの取材に行きました。色々と興味深いお話を伺えました。ただ、お話をするにあたって研究以外の目的では利用しないことを明言してきているので、ちょっとここで書くのは憚られるな…と。申し訳ないのですが…自粛させてください。せめて場所の写真だけでも…ということで。少し気圧されました。^^;
聞き取りを終えて帰ろうとすると、定期的に行われている演奏会の時間とうまく重なり、もう少しゆっくりさせていただくことに。素敵な演奏をありがとうございました。コーヒー、本当においしかったです。ごちそうさまでした。

モモさんがきました(o^^o)
 
遅くなってしまったので聞き取りについてはある程度まとめて今度…
明日は深川硝子工芸さんの聞き取りに伺います。
Good night!
Have a nice dream!

今朝みんなでハグさんと遊びました! 

…おしまい。っていうわけにはいきませんので。笑

ひと段落ついたかなって思っていた図書館での資料収集を今日改めて行いました。
以前のエントリーに書きましたが、聞き取り調査の中で裏付けが必要な情報がいくつかあったためです。図書館の司書の方にも大変親身に調査の相談に乗っていただけて、貴重な資料を拝見させていただけました。

それから深川硝子工芸へ。小樽の数少ない工業硝子を製造している事業所です。主な取引先は北一硝子でしょうか。
ここで製造したガラスを販売している店舗が同じ住所だったので行ってみましたが、何も見つけられず…図書館から一時間弱歩いてたどり着いたので、ほげーって。そんな気持ちです。店舗でお話しながら取材をお願いできないかなって魂胆だったのですが^^;

明日は北一硝子の広報の責任者の方からお話を伺う機会をいただいており、非常に楽しみです。書ける範囲でここに共有できればと思います。

Bye for now!

撮り貯めたスイーツをここで小出しにしておきたいと思います!
どちらも本当に美味でした^^b。

9月13日。「削りイチゴ」というそうです。小樽のローカルスイーツの一つだと思います。500円。氷ったイチゴをそのまま削って、練乳をかけて食べます^^。右の丸いのは私のカメラのふたです。…この一杯でイチゴを何個分なんだろう…とすこし考えさせられます。ボリュームたっぷりです。食べ終わってちょっと寒くなりました。笑

9月11日。こちらは堺屋さんの抹茶。「おすすめって何ですか?」ってきいたらこちらとのこと。フラッシュの影が出ちゃいました。もっと工夫せねば。。。
ほかにも色々ありましたが、一番お財布にやさしいのにしちゃいました^^;
ここでも少しお話を伺いました。なんというか、いろいろ聞かれることが多いんだろうなと。そんな印象を受けました。もっと通わないと本音は聞かせてもらえないかな。パソコンを置き忘れて冷や汗かいたのをよく覚えています。また行こう。

ほかにも色々ありますが、またの機会に!
See you!

 912日分です^^;。

いつも通りグルメについて書くつもりだったのですが、あるお店でお話をきいて気が変わりました。ある方がガラス工芸について非常に造詣が深かった。お話をきいて、やり取りして、思ったことについて。まとまるかどうか自信はないし、たぶん長くなりますが…おつきあいください。概念の使い方もフワフワしてますが、そこもご愛敬ということで。^^;

小樽がガラスで有名になるにあたり、北一硝子の存在は欠かせません。「商材」としてのガラスに目をつけた浅原社長は大変な慧眼をお持ちだったと思います。浅原社長は元々本州で仕事をしていた方です。向こうの流行りの動向が把握できる人物であったといえます。1970年代になると、ディスカバー・ジャパン・キャンペーンが国鉄によって推進され、古いものの価値が見直されるようになりました。この本州の人間の嗜好の変化にいち早く着目できたわけです。

実際にアンアン・ノンノの中でも北一硝子は取り上げられます(アンアンだと1974120日号、ノンノだと1973720日号が初出。以後何度か掲載される)。またこの時期に小樽をロケ地にしたドラマが80年代にかけていくつか上映されたのに加えて(幻の街、ガラスの知恵の輪あたり)、運河を巡って小樽を二分した運河論争の紛糾っぷりは日本全国で話題になりました。小樽の人々からは、このようなお話をよく伺います。

また、これについては観光課の強烈なプッシュもあったということです。運河論争のなかで色々な評価をされる新谷市長(当時)ですが、新谷氏の方針で、昭和61年から昭和62年にかけて、観光課の予算が2.7倍に、特に印刷物関連では4倍に拡大したということでした(要裏付)

これまで7万部程度のパンフレットを印刷していたのが30万部に拡大し、普通のパンフレットから女性に注目してもらえるようなパンフレットを作るようになったそうです(変化前後の頃のパンフレットが市の観光振興室に保管されているということなので見せていただかないと)。ガラス工芸の工房も数が増えていたころで、これらをすべて網羅したパンフレットを制作したということでした。小樽がガラスのまちとして広く周知されるようになったのはこの頃と私は考えています。新谷氏は北海道知事を務めた経験もあり、ちょうど青函トンネルが開通したのもこの頃なので、筋は通っているように思われます。

話がそれましたが、工房の立ち上げには非常にお金がかかるそうです。ガス代が毎月50万円程度、さらに炉やその手入れに関わる費用を加味すると数千万単位の金額が必要になります。これに対してもかなり援助がなされたそうですが。

ところが(以下伺った話)、小樽のガラス工芸作家のみなさまは小樽外の方が大半です。例えばザ・グラス・スタジオは全国規模で非常に著名な工房ですが、浅原千代治氏は大阪の出身です。そこから独立された工房の皆様も大半が小樽外の方ではありません。まだ歴史が浅いというのもあるのかもしれませんが、まだまだ「小樽のもの」というように小樽のガラスは認知されていないのです。境町通りの界隈も小樽とは別の領域として捉えられていて、地元の方はあるかないそうです。

…このような話を聞くと、「まちづくり」っていったい何なのかって。本当に深く考え込んでしまいました。経営手法には様々な意見があるとは思いますが、北一硝子の浅原健蔵社長はものすごく小樽のためを思って仕事をされている方と推察されます。ガラスの文化を小樽に根付かせようという努力です。

そうした取り組みが、ややもすれば「小樽のものじゃない」の一言で切り捨てられてしまう。なにが「小樽」で、何が「小樽」じゃないのだろうか。後から造られた/創られたものはみな小樽ではないと烙印を押されてしまうのだろうか。誰が作ったかの問題なのだろうか。サプライチェーンが内部で循環していればもっと見られ方が違うのか。あるいはもっと情緒的な問題なのでしょうか。

少なくとも確かなのは、観光客の小樽の見え方は実際に暮らしている方々とは全然違う。ここでヘルパーとして働かせてもらいつつも、やはり自分の目線はツーリストなんだなと、つくづく感じる。午前中の仕事を終えて小樽に繰り出すたびに、自分の曖昧な立ち位置を思い出す。自分はツーリストなのか、小樽の人間なのかという、あまりにも自明な問いを自分にぶつけることになるわけです。このアンビヴァレントな立ち位置にいるからこそ、「小樽の人間はこう思っている」というお話を伺えたのかもしれませんが。これも何度か小樽に訪問するなかで耳にしたお話でしたが、境町通りはまだしも、硝子が「小樽じゃない」というのはちょっとショッキングでした。お酒の席での話ですけどね。^^;

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「まち」という現象的・実体的空間に新たな文化を定着させることが「まちづくり」ならば、それは必ずしも「住んでいる」人のためのものにならないのかもしれない。斜陽の「まち」から誰もが知る一大観光地として成功したとされる小樽は、全国のまちづくりにとりくむ地域から注目を集めてきました。「地元の人間による新たな文化の発掘と振興を」などといった言説をよく目にしますが、どうも最適解ではないのではないか。昨日からそんな気がしてなりません。

きっかけは何でもいい。ガラスかもしれないし、オルゴールかもしれない。それは小樽なのかどうかに拘泥していてはなにも新しく進めていけない気がする。でも、ある地域を好きになったとき、必ずもっと知りたくなる。それは歴史かもしれないけれど、それだけではない。いま、どんな暮らしが営まれているのか。どんな人が住んでいるのか。そこに興味を持っているひとは少なくない。ここで会えた方にはそんな人たちもいました。このような人たちを橋渡ししてあげることで今ある暮らしを存続させられるのなら、そんな「まちづくり」を作りたい。そのようなことを考えた秋の夕暮れでした。

今日であらかた小樽市立図書館の目当ての資料をコピーできました!^^
「小樽でしたかったことリスト」を一つ終えられたので、ちょっとひと段落ついた感があります。
すこし自分にご褒美と思いあちこち回りました。^^b
…ただ夜も遅いので。。。Salsa night の様子だけで。
小樽の夜の街である花園で地元の方と一緒にとにかく踊りました。
また後ほど、今日のことを記事にします。
よく動いたので、ぐっすり眠れそうです。
おやすみなさい。


 WHOOP it up!

Working Holiday
on Otaru Project

小樽でちょっとお手伝いをしながら、長期滞在しよう!

エクスチェンジヘルパーです。
数時間の宿の仕事と宿泊代の等価交換(?)。
仕事の合間に小樽を十分に堪能できます!
外国人もOK!ワーキングホリデーの方にもオススメ
WHOOP is “Working Holiday on Otaru Project”.
The meaning is “Let’s long term stay while working as a exchange helper in Hokkaido Otaru. “
The MorinoKi helper is to exchange your hostel charge for work several hours at the hotel.
Good for long stay traveler, and Working Holiday Maker.
more information >>>

 もりのき本館

The Otarunai Backpackers' Hostel MorinoKi
The Otarunai
Backpackers' Hostel
MorinoKi
おたるない
バックパッカーズホステル
杜の樹

〒047-0028
北海道小樽市相生町4-15
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